2023年夏旅/Berlin❤️
前回からの続きです…ドイツ国際平和村を後にして、私達はベルリン(Berlin)に向かいました
ベルリンは私の大好きな町です。 この町では本当に退屈しません。グルメやお買い物を楽しむのも良し、歴史的な観光地を見て歩くのも良し、東西ドイツの歴史を学ぶのも大変に興味深いです。 この町は出来るだけ長く滞在し、じっくりと時間を過ごしたいです。
その上に私がベルリンが好きな理由は、彼らのクリアーなドイツ語とオープンなメンタリティです。 ここでは本当に色々な人と話をしました。 (写真右:Berlin, Brandenburger Tor/ブランデンブルク門でPescaと。 以前この門は東ベルリン側であり、周囲には何一つ建物のない無人地帯であった。 門を通り抜け、好きのように歩ける自由に幸せを感じずにはいられない)
旅人Mizkoの旅の醍醐味は、その土地の人との出会いと彼らとのコミニュケーションです。 色々なことを教えられます
今回ほんの数十分のタクシーの乗車時間でも、一度はアフガニスタン、一度はレバノンからの移民男性がドライバーで、なぜ彼らがベルリンに移り、ここで働いているか?移民と言えば聞こえは良いですが、母国を捨てて家族で逃げて来た、あんなところにはいられない、もう二度と戻りたくないと言うのが二人の言葉でした。 二人とも流暢なドイツ語を話しましたが、英語も同じくらい話しました。 彼らの話からニュースで得られる以上のことが知れて、またここで平和について考えるきっかけになりました。また彼らの言葉から、語学は生き残る為、人生には大切な『道具』だと改めて感じました
スタッフPescaにとっては初めてのベルリンでしたので、一つくらい有名なミュージアムを紹介しようと思い、私が選んだのは、Checkpoint Charlie/チェックポイント・チャーリーとその博物館(Museum Haus am Checkpoint Charile/Mauermuseum、壁博物館とも呼ばれる)でした。

Checkpoint Charile=第二次世界大戦後、ドイツ、ペルリンが東西に分裂されていた時代、同市内の東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所。 (写真右:写真ではソ連兵の写真が掲げられているが、反対側にはアメリカ兵の写真がある。標識には”YOU ARE LEAVING THE AMERICAN
SECTOR”と表示されている。つまり当時は、ここを越えたら東ドイツ、ソ連地区ということである。天と地の分かれ道だと私は思う。写真右4枚目:今ではここも多くの人が自由に往来している。当時を思えば夢のようなこと)
Museum Haus am Checkpoint Charlie(Mauermuseum)=(写真右下)ベルリンの壁が作られた経緯やその過程を写真と共に知ることが出来るだけではなく、あらゆる手段を使って自由を求めて東から西へ逃亡しようとした人達の写真や実際に使用したものがそこに展示されている。 自家製の熱気球や自家製の潜水艦、トンネルを掘って脱出した話に写真や当時使用したものなど。 どれだけ人々が西への脱出を求めていたかが痛いほど分かるミュージアム。
同時に現在世界で起こっている戦争や内戦も写真と共に展示されている。 *熱気球での脱出のお話は映画にもなっているので、その予告編をご覧下さいここをクリック
本当に「平和」について今一度考える時間が過ごせる場所です。 私も久しぶりにこのミュージアムを訪れて、何冊か本も買い読み直しました。国が二つに強制的に引き裂かれる、それで人々も家族や愛する人、友達と引き裂かれる。 本当に悲しい歴史です。ただ引き裂かれるだけではなく、天と地ほど違う生活。 私達の当たり前の自由が全く当たり前ではないのが東ドイツの生活でした。
ところで皆さん、東西統一前の西ベルリンの位置ついてご存知でしょうか? ドイツが東西に分裂しましたが、ベルリンの街も東西に分裂しました。 西ドイツの西ベルリンと東ドイツの東ベルリンがあったわけです。 (例:東京が東西に分裂して、自由に行き来が出来ないことと同じです)
その頃から私は西ベルリンに行っていましたが、西ベルリンは「西ドイツの飛び地」と呼ばれ、東ドイツの中にポツンとありました(写真右参照:白い部分が西ドイツ、グレーが東ドイツ。 そのグレーの上にある赤い部分が西ベルリン、その横の線に囲まれた小さなグレーの部分が東ベルリン。Wikipediaよりスクリーンショット) ですから、西から西ベルリンに車で行くには、嫌でも東ドイツに一旦入国しなければ、西ベルリンには行けませんでした。その西ベルリンを囲んでいた壁が『ベルリンの壁』です。 東西ドイツ国境にも鉄条網が張られ、その周辺には地雷原、数キロごとにサーチライトで照らす監視塔が設置されていました。
帰りも西ベルリンから東ドイツに一度入国し、東を出る際、東の検問所で厳しいチェックを受けて西ドイツに入国しました。西に入るとそれはホッとしたものでした。
戦争が終わっても一つの国が分裂している限り、平和に戻ったとは言えません。 たくさんの人が西を求めて色々な手段で脱出を試みて、成功した人もいますが、命を落とした人もたくさんいました。西へあと一歩のところで銃殺された男性の写真を新聞で見ました。同じ頃日本ではまだまだアジアのトップの国として浮かれていた時代です。
自由に会話が出来る、自由に好きな所に行ける、自由に好きな音楽を聴けて、映画が観られる。 豊富な商品で町は溢れている…こうした全てが私が東ドイツ滞在中には経験出来なかったことでした。
2023年Mizkoの夏は、国際平和村とベルリンと旅をして、改めて「平和」について考える有意義な時間でした。 そしていよいよ来月は4年振りの京都展示即売会です  そこで、今度のテーマは、お客様とスタッフ一同心一つに世界の平和を祈りたいという思いで、「Pace e Amore」(パーチェ エ アモーレ=平和と愛)としました。
(写真右:Kaise-Wilheim-Gedaechtniskirche/カイザー・ヴィルヘルム記念教会前でPescaと。戦争を警告する記念碑として、空襲で破壊されたまま残されている)
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